ネパール奮戦記

Nepal Struggle

私は1999年、もう5年前のことになりますが

約1年間ヒマラヤの裏側とチベットの間にある村に診療所を立て医療活動をするというNPOのプロジェクトに参加しました。 参加にあたっては仕事、家庭いろいろな問題があり、そうそう簡単には決断できず家ではしばしばもめる事もありました。しかしそれらの問題を乗り越え、妻にも許してもらえ(というかあきらめた感じでしょうか)その年4月11日に日本を後にしました。やはり家族と離れるのが一番辛かったです。カトマンズ(ネパールの首都)の空港に着きまず驚いたことは小さな子供らが寄ってきて手を出して何か言っているのですが、聞くとお菓子やお金をくれと言ってるようなのです。で自分も何かあげられるものはないかと探しましたが、慣れている人によるとそんなに軽々しく物をあげてはいけないと言われており、特に日本人は裕福でやさしいからすぐに何かもらえるというふうに彼らが思い込み日本人を見ると近づいてくる、と聞かされました。しかしそれはさほど悪いことのようには感じてませんでした。ところが日本人が彼らをそうしてしまったと言われ、かなりショックをうけました。言われてみれば欧米人にはあまり寄っていかず、寄ってきてもサラッとかわしている人が多かったのに後で気づきました。最初から自分のイメージとはかなり違うカルチュアショックを受けこの先さらにどうなるのか不安が倍増しました。

カトマンズ空港に降り立ち

いきなりカルチュアショックを受けましたが、自分がやらなければという気持ちの中で診療所を開設するといってもいったい何からすればいいのか、言葉もわからない異国の地で悩みました。そこでまず日本から来ている医師を捜すため日本大使館に行き大使に会い医務官を紹介してもらったり、人に聞き訪ね歩いたりしカトマンズ郊外にあるパタン病院の日本人医師、ドクター木村と知り合いました。何度か院内を見せてもらいました。 この病院はネパールではきれいな病院との評判でしたがそれでも日本の病院とはほど遠く、汚く薄暗い感じでした。そこからドクター木村に臨床に力を入れている新しい病院、B&B病院を紹介してもらい5月から約1ヶ月間その病院に通いネパールでの病気の現状を見せてもらいました。副院長ドクター.バイデア率いる5人の外科医チームに入れていただき外来、回診、手術にはいり現地の患者さんと触れ合いました。特に感染症、赤痢やチフス、寄生虫が多く又 、結石のできる疾患が多かったのを覚えています。昔日本も衛生状態の悪かったころこんな感じだったのかと想像させられました。しかしこうしてようやく医者らしいことができるとこまでたどり着きました。ところがそれと平行して政府からネパールで診療行為をするための医師免許を取得することが手続は煩雑なのに役所はいいかげんで時間ばかり食い、高額な申請料を言ってくるのです。

ネパールで医療行為をするのに必要な書類を

NPOを通じて首相秘書が教えてくれたのですが、それが曖昧でとりあえず日本の厚生労働省で取った医師英語免許ももってネパールの保健省に申請に行ったのです、が他に保証人としての現地医師の紹介状が必要だとか後から後から出てきて、明確に決まっていない様子なのでこちらから履歴書、パスポート、就労ビザさらには嘆願書をつけティーチャング病院の有名な先生に推薦状や誓約書も書いてもらい、これらの苦労して集めた書類をこれでもかといわんばかりに提出しました。しかし1週間たっても2週間たっても何の音沙汰もなくいったいどうなってるのか再度訪ねてみたら、大臣が休暇シーズンでもないのに突然1週間ほど休みを取るからと書類は机に置かれたままだと秘書にいわれ唖然としました。が気を取り直しいつ戻られるのかと聞くとはっきりした日はわからないと言う返事が返ってきました。日本から行って間もない自分は考えられないと思わず「かっ!」となり「こっちは忙しい中少しでも早くと思い必死で書類を作ったのになんといい加減な!いったいどういうことか」と興奮して日本語、英語、ネパール語のミックスした変な言葉で秘書官に怒鳴ってしまいました。でも現地では珍しいことではなく怒ったところでどうにもならないことだと知ったのはその少し後のことでした。

B&B病院の通勤中雨季でもあり

よく雨が降りました。といっても日本のようにジトジトではなくまさにバケツをひっくり返したような雨が短時間に集中して降ります。すると排水設備の悪いこの国ではすぐそこらじゅうが洪水状態です。膝上あたりの浸水は毎日のようにあり自転車でもズボンはビシャビシャ、でもそのまま診療してても特に抵抗はありませんでした。ある日いつものように通勤中にスコールが降り自転車のタイヤ半分ぐらいまで水につかりながらこいでいると突然前輪が沈み体が前に投げ出されハンドルで股間を強打してしまいました。日本では考えられないのですが道の途中に大きな穴が開いていることがあり、なんの囲いも表示もなく危ないなぁ~と日ごろ思っていたのも忘れその穴に落ちてしまったのです。胸まで浸かり痛いのも忘れ帰って排尿すると血尿がでており尿道損傷しているのに気づきました。その日は安静にしており翌日には血尿は消えていました。ネパールに行って約1ヶ月のことではじめての負傷でもあり不安な一晩だったことを今でも覚えています。