ネパール奮戦記

4月にカトマンズ入りし5月いっぱい病院での

実施医療に携わり仕事の後は物品・薬剤の調達、そして夜はネパール語の勉強と毎日予定はいっぱいでしたがなんとかそれぞれをこなし、役所側の遅い対応ではいつ許可証がおりるかわからないので、いつでもスタンバイできるように麓の町ポカラまで購入した医療器材を載せトラックで舗装されていない道を8時間、私も四輪駆動車で後続し走りました。途中ではパンクしたトラックやオーバーヒートしたバスなどをよく見かけました。エンジンがさめるのを待っている人や車を押している人、ほかの車に乗せてもらっている人の光景を何度となく見かけました。幸いうちの車は壊れることなく走ってくれました。途中の、サービスエリアとは言いがたいですが店が数件集まっているところで昼食にダルバート(ネパールカレー)を皆と一緒に素手で食べましたが結構おいしかったのを覚えています。夕日に沈みかけたポカラの町が見えてきたときは安堵感でいっぱいでした。こうして事故やトラブルなく無事に器材を運び終え、またひとつ一歩前進できたことへの充実感にひとりひたっていました。

他国で医療行為をするための医師免許は

2ヶ月かかりようやく発行され、つづいて入山許可証(パーミット)というものが特定の山に入るのに必要なのですが、同時に手続きしているので引き続いて取れるとのことでした。ついに入山かと期待を膨らませながら自分は一歩先にポカラから軽飛行機で、8,000mの山の間を縫うようにジョムソンまで飛びました。ポカラに置いた医療器材と薬も数日後にチャーターした輸送ヘリで乗せてきてくれ自分もそのヘリでさらに奥地のガミという診療所を新設する地へ飛び初めて踏み入れることができることになりました。一気に予定が進み期待でいっぱいでした。しかしやはりここはネパール、全然予定通りにはいきませんでした。2日後カトマンズからの連絡でパーミットが遅れると言われ、ヘリで器材と一緒にガミ入りするのは難しくなりました。しかし器材があるので荷揚げについて往復だけでもと考えていたら、ヘリの方も調子が悪くて、数日遅れるとの連絡が入りました。スタッフの方がヘリとパーミットの交渉のため再度カトマンズまで下り、私は残ったスタッフと数日後来るだろうヘリのため、事務所から空港まで10分ほどですが器材や薬をいっぱいかついで毎日何回も往復し、いつ来るかわからないヘリのために同じ準備を繰り返し、遥か山のかなたにヘリを捜し待ち続けていました。こういう無駄と思われるようなことを何回も繰り返す事はこちらでもよくあることでした。

いつ来るかわからないヘリコプターのために、

毎日飛行場まで荷物を運んではヘリが来ずまた荷物を持ち帰り、これを繰り返すこと約1週間、いつものように皆で朝早くから器材を運び地面に座り込み、ヘリの来るアンナプルナの方向を眺めているとヘリらしき物体が山脈の間に点のように見え、固唾を呑んで注視していると次第にエンジン音が響きわたり、ヘリだとわかった時に皆で歓声を上げて思わず万歳していました。拍手で着陸を迎え、早速医療器材や薬剤を運び込み、奥地の診療所開設予定地に自分らより一足先に輸送してもらいました。  これでまた大きく一段階進展しました。このようにしてひとつひとつゆっくりではありますが確実に目標に向かっている実感を噛み締めて、その夜は現地の人たちとささやかな夕食で小さなお祝いをし、夜遅くまで語り明かしました。

ネパールでは外貨獲得のため観光資源は

欠かせないものであります。山に登るためにその地区に入るには、パーミットという入山許可証が必要なのです。そして今回、私が診療の為に入るムスタンという地域は、つい数年前までネパール国内でも独立し鎖国状態であったムスタン王国であるため、特にその歴史的価値からも入山許可証取得が高価で困難な地区でありました。さらに診療に入るためには期間が数ヶ月と長くなり、そんな高額の入山料はNPOでは当然払えませんでした。ボランティア活動での入山なので当然、無料での交渉をしましたが、役人らはそう簡単に了承してくれませんでした。それどころか高額な請求をされ交渉は難渋し、またしても足踏み状態です。医療器材だけが先に現地に行き、自分は現地入りできず、ここジョムソンに待機の状態が続きました。結局約1ヶ月、待ちましたが、その間ジョムソンでもあきらめムードがかなり高まり、自分もここまでやったのにどうして?なぜ受け入れられないのか?など悩み、あきらめて一旦ポカラまで下山し、日本の妻に電話し状況を話しました。「あきらめて帰国しようか」なんて弱気な話をすると、喜ぶかと思いきや、逆に怒られてしまいました。「そんな中途半端なことで帰ってき、また行きたいとか言ってもこんなことは二度と許せません。1回きりなんだからあきらめず最後までやりとおしなさい。」と言われ、ハッと我に返り、ここまでたどり着くまでにどれほど大変だったか、さらに日本を出発するまでにも多くの人々に多大な迷惑をかけて来ていることを思い出し、もう一度、初心に帰り踏みとどまることにしました。  今、思い出しても、「あの時の妻の一言がなければやり遂げることはできなかった。」と深く感謝しています。

出発の約1年前にこの話が

持ち上がりました。以前、別のボランティアに参加した時の話の中で、世界人口の約3分の2が発展途上国の人であるから、自分たち先進国の人間が2人以上の人を手助けしてあげるという気持ちで、何かできることがないか考えてみると、比較的楽に実行できますよ。という話に、自分に何ができるのかを考えてみると、やはりせっかく医師になったのだから世界に出て、もっと困っている人のためになりたい、1人でも多くの人のために役に立ちたいという気持ちが強くなりました。しかし、夢は夢としてと現実の状況を見渡してもギャップは大きすぎました。行ってみたいが現実のものとは生り得ないような夢の話を妻にしてみたら、最初は冗談のように受け取られ、すごいねと、軽く話は終わりました。しかし徐々に自分の中では夢が広がり、医師になったら一度はこういうことをしてみたいと、学生のころから思っていたことも思い出し、さらに急激に高まる鼓動を自分でも抑えることができないぐらいイメージが膨らみ、2度3度と妻に話しているうちに本気で考えていることに妻は冷静さを失うようになりました。毎晩子供が寝静まった頃になると、自然と口論が始まってしまいました。残された家族の生活、帰国後の仕事や生活、自分の身の安全などなんの保証もなく、問題点は山積みでした。そういう月日が半年ぐらい続いたのでしょうか。離婚の話もされました。毎日毎日なのでさすがに4歳の娘も気づき、夜中に起きてきて、泣いている妻に近づいて「ママ、泣かないで」と言い、次に自分のそばに来て「ママと仲直りして」と一生懸命、二人を仲直りさせようと気遣ってくれたこともありました。しかし、その後も気持ちは大きく揺れるものの、結局は夢を捨てきれず決意した自分は、やっぱり非情だったのでしょうか・・・そして、妻もあきらめたのでしょうか。今でも、あの時の妻の心境は聞けず、触れることなく現在に至っています。

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